半世紀のホンネ・そろそろ話そうか。

ほぼ半世紀の人生を歩んできた2人が、 日々モヤモヤするホンネを語ってみよう、というブログです。

働くって、どうよ。

 

ブログ開始一発目

ごましおの2人が考えたお題は「働くって、どうよ。」です。

(いきなり深い。)

2人とも人生のほぼ半分の時間、社会にでて働いてきました。

会社員だったりフリーだったり。

東京だったり北海道だったり。

働き方も職種も勤務場所もその時々様々に、それぞれにこなしてきたのです。

それなりのスキルも経験も身に着け、受注売り上げ貢献もし、

後輩育成に情熱を注いだり、顧客満足度向上にも尽力してまいりました。

2人とも「長く働いてきた。」

それは間違いない。

そこでふと考えてみた。

働くってなんだろう。

なぜ人生の半分の時間も働いてきたのだろう。

長く働いてきた2人が、今だらこそ少しだけ振り返ってみます。

「働くって、どうよ。」

 

ごま的「働くって、どうよ。」

 

「働くって、どうよ。」と問われたら、

働くのも遊ぶのも休むのも、同じ。私の生活のある一部分。

と答えると決めた。

 

平成元年・新卒で入社した会社に令和元年の現在まで所属している。

しれっと書いてみたが、

「私は新卒で入社した会社に30年も勤務しちゃっています。」

ということである。

改めて数値値してみて、呟いた。

「長いな。」

 

私が所属をしている会社も平成から令和の30年の間、時代の流れに翻弄され様々な社内改革を(迷走も多々有)行ってきている。

イチ会社員である私も、社内改革の波にどんぶらどんぶらと漂いつつ、所属や職種が恐ろしくコロコロと変わった30年だった。

ざっくりあげてみると、入社所属部署1年で消滅・新規部署異動・所属部署解散・新規立ち上げ部署異動・いきなり本社が3つの株式会社に分社化・分社したのにまた一社に戻る(なにやってんだか)・おじさんの派閥闘争みたいなものに巻き込まれて支社に異動・本社に戻る・またまた新規立ち上げ部署に異動・転勤異動・元部署に呼び戻される・部署解散・部署移動・またまた解散等々30年間全く一つどころに落ち着いていない。

部署は変わっても仕事内容や職種はずーっと同じ・・・なんてこともなく。

営業アシスタント・秘書・webサイト作成・販売促進・セミナー企画運営・営業支援・新規事業開発・マーケティング・変わったところでプロモーション用営業販売支援用のドキュメント作成のためのインタビュアー・ライター等も経験した。営業関連職の時には金型からデータセンター、SIからWEBコンテンツや携帯APPまで、様々な物とサービスを売ってきた。部署が変わるごとにお客様の業種も規模もその都度変化をし、さまざまな業界事情にも詳しくなった。

とまぁ、書き出してみると我ながらいろいろやってきた30年だったのだ。

やってきたのだ、いろいろと。

でも、

「いろいろやってきたけど。私にとっての働くって、何?なぜ30年も働いてきた?」

改めて自らに問うてみたら本当に、

心底「よくわからない」のだ。

唖然としてしまった。

 

人生のほぼ半分以上をつぎ込んできた働く時間。

悩みまくって眠れなくなったり、悔しがったり、泣きながら上司に食って掛かったり、自らでは止められないほどにキレたり、怒られ、怒鳴られ、提案書を投げつけられ(実話)・・・つらいことは山ほどあった。

「あいつ転んで打ちどころ悪くてあの世にいってくんないかな。」と、つい心の声がもれて厳重注意を受けたり、上司からの慰めの電話に、公園のベンチで携帯片手に大泣きしてストールが鼻水でぐちゃぐちゃになったこともある。

辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、腹が立つこと、落ち込むこと、いろいろあった。

働くことによって出会った顧客や上司や同僚や後輩、そして同期達は、いい人も変な人も悪い人も心底嫌いな人も、私を嫌いという人も、様々な人がいた。

書いているだけでも面倒くさいし、負の感情がフツフツと蘇ってきたりもする。

されど働いて、きた。

働いている時に感じた深い感謝や、無意識に「やったぁ」と声がでるほどの紛れもない大きな達成感や幸せも確実にあった。一緒に受注を勝ち取った同僚と飲むビールは最高においしかったし、プレゼンがうまくいった時の満足感と私がんばった感はハンパなかった。

だから、働いてきた。

そう、「働くこと」は私の30年間の生活の一部分だ。

 

働く環境や会社や職種や人間関係で悩んでいる人は多いと思う。

自分がやりたい仕事はなに?

将来どうしていきたい?どんな自分になりたい?等、いろいろ考えるとどこかで心臓が苦しくなって働くこと、会社に行くことが難しくなってしまうこともあると思う。

あくまでも結果論になってしまうけれど、

30年働いてきた今、私は自分がやりたかった仕事がなんだったのかが既にわからないし、働き始めた頃、自分が将来どんな自分になりたいと思っていたのかを忘れてしまった。

その時その時、目の前にあることを自分なりに頑張ってこなすことで、働くことは私の生活の一部となっていた。

ただ、働いていると無意識で自覚もないうちに経験やスキル、ものの見方や考え方がどんどんレベルアップした自分になれているのかもしれない。

だからこそ、30年もやってこれたのだ。

「働くって辛い。」とか「働かなくていいなら働きたくない。」とは思わなかったもの。

 

「働く(仕事)って、どうよ」と問われたら

働くのも遊ぶのも休むのも、同じ。私の生活のある一部分。

「なかなかいいもんだと思うけどね。」と答えたい。

 

とはいえ、そろそろ引退したい(大矛盾)

 

しお的「働くって、どうよ」

 

私の経歴は生え抜きの「ごま」とは異なる。

30歳になる目前に今の会社に就職したが、20代は何度か転職をした。

制作会社に勤務したこともあるし、フリーのライターだった時期もある。

 

多感期を北海道で過ごした。

本が好きで、山田詠美江國香織林真理子桐島洋子のエッセイに憧れ、オトナの女性に憧れ、東京に憧れた。

私もそんな世界を覗いてみたい、物を書く仕事に就きたいといつしか思うようになった。

でもどうやってその道に進むのかがよくわからない。とりあえず大手某社に就職し広告営業からスタートした。

飛び込み営業をし、受注を取り、打ち合わせをし、撮影に立ち会い、自分で書いた原稿が紙面に載る喜び。

初めての名刺、初めてのお給料、仕事終わりの飲み会、同期という仲間。

夢の切れ端を掴んで踏み出した社会はキラキラと輝いていたように思う。

でも人生はそう順風満帆には進まず、キャリアアップを目指し転職した後がきつかった。

企画が浮かばない、原稿が書けない、あきらかな知識不足、実力不足が露呈し、徹夜続きでお肌も気持ちもボロボロ。

自分の不甲斐なさに何度も涙したし、「むいてないから辞めた方がいい」とまで言われたこともある。

寝ても覚めてもまさに仕事漬けの毎日だったが、不思議と諦めようとは思わなかった。

私にはその道しか見えていなかったし「いつか必ず・・・」と根拠のない自信が背中を押していたように思う。

若かったのかな。

 

今の会社に就職してからは6時半に起き、コーヒーとバタートーストを食べ、その日の気分に合うピアスをつけて出勤し、ほぼ定時に退社する毎日だ。

どこかに置き忘れたのか、はたまた自分の都合のいいようにすり替えてしまったのか、

夢と引き換えに、規則正しい生活と趣味を楽しむ時間とお金を手に入れた。物書きではない。

これも自分が選び取った道であることに間違いはないが、ある歌詞が頭を過ぎる。

 

「あの頃の未来にぼくらは立っているのかな」

 

何かに心をキュッとつままれたような、青くて痛苦しい気持ちになる。

 

「働くってどうよ?」「どうして働き続けるの?」

生活のためとか、家族のためとか、将来(老後)のためとか、綺麗ごとでは済まされない現実はある。

だけどきっとごまと話したら「振り返る時間が長くていろいろ忘れちゃうわー」と笑うだろう。

 

自分で働いたお金で興味のある料理教室へ通い私たちは出会った。

そんな友と巡り合えるご褒美があるなら、

まだ答えが見つからなくても、今があの頃の未来ではなくても「ま、いっか」と思うのだ。