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オトナの恋愛って、どうよ。
ごましおの半世紀のホンネ、第三弾
今回のお題は「オトナの恋愛って、どうよ」です。
恋愛は、ある時期人生そのものだった。
365日24時間体制で恋愛しかしていない時があった。
相手の何気ない一言に一喜一憂し、言葉の裏の裏の裏、そのまた向こうまで妄想しまくり、食事も喉を通らず「苦しいのよぉぉぉ」と友に泣きつく、なんてことも多々あった。
若いころの恋愛は猪突猛進。
恋は盲目。
ただし。「めたくそ楽しかった。」
今振り返ると「体力あったな、私。」と苦笑いだ。
オトナになってからも恋愛はしてきた。
30代だろうが40代だろうが、恋愛いつも目くるめく世界だ。
若いころは考えもしなかったけれど、いくつになっても恋はしてしまう。
オトナの恋愛事情について、そろそろ話してみよう。
ごましおにとっての
「オトナの恋愛って、どうよ」です。
ごま的「オトナの恋愛って、どうよ。」
いつ何時をもって「オトナ」の年代なのかは個々の認識によって違うと思うけれど、
「おとなの恋愛って、どうよ」と問われたら
「そりゃいくつになったって恋愛は楽しいに決まってる。しかもオトナになればなるほど楽しい。」
と強めに応えたい。
初めて彼氏なるものが出来たのは中学2年生の時。
そこから様々な恋愛をした。
20代はいつもいつも恋愛をしていた。
うっかりその中の一人と結婚にいたったが、うっかりはやっぱりで30歳でバツイチに。
そこから「もう結婚とかいーわ」的思想になり、更に濃いめの恋愛街道を走り抜けた。
毎日おなかが痛くて気持ちが苦しくて、ハラハラと意味なく泣いてみたり、
一体何と戦っているのかはわからないけれど、「毎日決戦」「辛いのが醍醐味」的アホ恋愛もしてきた。
友があきれてしまうほどのラブラブ時期を過ごし、ある日突然さーっと熱が冷め、幸せだったはずの思い出全て、あれもこれもそれもどれも「恥ずかしい」の文言しかない、全部まとめて地中深くに埋めこんで記憶から完全消去したい懺悔な恋愛なんてのもあった。
32歳から36歳までの4年間はなぜか毎年5月くらいに新しい恋愛がスタートし、夏とともに終わるという恋愛をし続けた。7月くらいになると後輩から「先輩、そろそろ今年も終わりますかねぇ」なんて言われてしまうほど、私の恋愛は年中行事の一つだった時期もある。
「事実は小説より奇なりってこのことね。」と思わずつぶやく型の恋愛を繰り返し、
しなくてもいい苦労に自ら突入し、自滅し、「男の傷は男で治す」を座右の銘に復活し、更に上の苦労に突っ込み・・・を繰り返し、紆余曲折恋愛街道を駆け抜けた。
とにかく爆走しまくった。
ところが
45歳の時に「人生恋愛してなんぼじゃけんのぅ」ステージをあっさりと降りた。
なんというか「オトナの恋愛」ステージが始まったのだ。
煩悩のひとつがしゅぅーっと消えて、恋愛に対する姿勢が変わったのだ。
どんな風に変わったのか。
たぶん「楽な恋愛」をするようになったのだと思う。
居心地がいい、一緒にいて楽、という相手を選択し、穏やかに恋愛ができるようになった。
昔の恋愛時のような劇場型でドラマチックなことなんて何一つなくなってしまったけれど、
そこはもう十分やったからいいやと思えるようになったのだ。
成熟したオトナ的感覚がようやく身についたのかもしれない。
現在はかなり落ち着いて事実婚的パートナーと暮らしている。
若くて体力がある時はどんな恋愛でもなんでもやった方がいい。
バカな恋愛も、おかしな恋愛も、周りからドン引きされるような恋愛も、
なにもかも出来る時にやっておいた方がいい。
オトナになったら、また違うステージで恋愛は出来る。
そして、たぶんオトナの恋愛は気持ちが豊かで穏やかで楽しいものだから。
そうなる前はどんどん行くべきだ。
命短し恋せよ乙女。
とは言いつつ。
人生最後にもう一回くらい熱烈な恋愛がわいてきてもいいよなぁ、
と思う気持ちは忘れてはいないけれどもね。
しお的「オトナの恋愛って、どうよ。」
「今度生まれ変わる時はフランス人に!」が、お酒を飲んだ時の口癖だ。
いくつになっても恋をして、おしゃれをして人生を謳歌したい。
それがフランス人に対する勝手なイメージだとしても、きっと多くの女性たちはそう願うのではないだろうか。
現フランス大統領夫人のマダム・マクロンは、私の憧れの女性の一人である。
それはさておき。
何歳からをオトナと定義するかにもよるが、31歳で結婚をし現在も婚姻関係を継続している身としては、なかなか難しいお題である。
ここには今の気持ちや出来事を綴っていきたいと思っているのだが、正直、進行形ではネタがない。
「若い頃は痩せてたんだよ」と昔の写真を後生大事に手帳に挟み、お酒の席で見せたがる人が少なからずいて、私はそういう輩が大嫌いだから「若い頃は・・・」という言い回しが好きではない。
でも、反感やヒンシュクを買う事を恐れずに言うなら「若い頃はモテた。そこそこに」
クリスマスには自宅に花束や贈り物などが届き、父親から「お前は水商売の女か!」と見当違いな怒られ方をした事もある。
それが今ではどうだろう。この夏はついに蚊までも寄りついてこなかった。
だから脳内恋愛しか楽しむ術がない。そして思うのだ。「あぁどこかで素敵な殿方との出会いがないかしら・・・」と。
どこかってどこ? ホテルのバー? ドラマじゃあるまいし、アラフィフ女性に出会いなど果たしてあるのだろうか?
仮に異性と二人で食事に行くことをデートと言うのなら、結婚後も何人かとデートはした。
でもそれは新しく出会った相手とではなく、学生時代の友人や独身時代に知り合った人、昔のボーイフレンドとの「再会」だ(ほぼ20年とか25年単位の)。
とりわけ昔のボーイフレンドとの再会には心が躍った。特別なダイエットをしたわけでもないが、産後どうしても落ちなかった“あと3キロ”がスルリと落ちたし、初めてまつ毛エクステやネイルサロンに行ったのもその時だ(1回限りでその後は何もしていない)。
下着も新調した。機能重視の保護色からデザイン重視のカラフルなものを買い揃えた。
もし仮に、閉経後にそんな機会が訪れたなら、きっと生理が再開するのではないだろかと思うほどの勢いで女性ホルモンがフル稼働した気がする。
それほどまでに最強なのだ、恋する乙女心ってヤツは。
夫に対し罪悪感がないと言えば嘘になる。でもこればかりはしょうがないのではないだろうか。
私の場合は幸か不幸かそこから恋に発展はしていないが、登山家がどうして山に登るのか、そこに山があるからと答えていたように、私の人生の後半戦に「なぜ恋をするのか、だって出会ってしまったから」としか言いようがないような、ハッピーサプライズが待っていないとは言い切れない。
その時は抗わず身を任せたいと思っているが、その裏で傷つく人がいない事が最低限のルールになるから、オトナの恋愛って難しいんだよね。
そう言えば、私は30歳の時、夫と「出会ってしまったから」結婚したんだったっけ。
すっかり忘れてたけど。