半世紀のホンネ・そろそろ話そうか。

ほぼ半世紀の人生を歩んできた2人が、 日々モヤモヤするホンネを語ってみよう、というブログです。

浮気って、どうよ。

よく聞くセリフのひとつ。

「男って、浮気する生き物だから。」

これに付随してこれまたよく聞いたり言ったりしているのが

「だいたい浮気って、どこから浮気?」

とか。

「浮気はする方が悪い」

「いやいや、される方にだって落ち度が・・・」

とか。

「浮気がばれたら絶対否定」

「極秘、墓場まで持っていくのだ」

とか。

とにかく「浮気」って事柄は、ご婦人達が集まれば事例のひとつやふたつどころか
「あの子のとこも」「あそこの旦那が」「あの子が? 意外だしっ」等々

十も二十もでてくると言っても過言では無いほどに話題がある。

 

日々の何気ない日常に、

ふとよぎる「ああ、このままでいいのか俺(もしくは私)」的な風がそわわーと吹いたら・・・・。

そしてそんな時にウルウルとした目で自分を見つめる人が目の前に現れたら・・・。

 

ということで。

ごましおの半世紀のホンネ、第五弾。

今回のお題は「浮気って、どうよ」です。

 

 

 

ごま的「浮気って、どうよ。」

 

付き合っている相手に浮気をされたことは(たぶん)ない(ハズ)

けれど。

私自身が実は「浮気相手という立場」だった、ということは正直あったりする。

しかも2度。

2度も、自分が浮気相手になったことがあるのだ。

わはははは(笑うしかない。)

彼には私以外に彼女がいるのだ、(結婚前提で2年同棲、両親にも挨拶済、後は入籍するだけのフィアンセ持ち、というツワモノもいた。)と判明した時のどん底具合と言ったら・・・・。

そりゃあもう泣くか笑うか状態で「ないわー。本当ないわー。」としか言いようがなかった。

そんな(しなくてもいい)実経験を踏まえ

「浮気って、どうよ」と問われたら

「どうしようもないね。」と答えるしかない。

 

浮気はしてはいけないこと。ダメなこと定義ではある。

私も自分が浮気相手なのだとわかった時には「浮気するなんてサイテー」とか「人としてダメだろう」等と声高々に叫んでいた。

でも、だ。だけどもだけど、だ。

じゃあ自分は浮気をしたことがないのかと問われると「してましたな。」という結果なのだ。

 

そもそも浮気とは「ひとつのものに集中できず他のものに興味が移りやすいこと」という意味だ。

オムライスオーダーしたけど、やっぱりナポリタンも食べたいよな。とか

明日試験だけど、どうしても部屋の掃除しちゃうー。とか。

こっちも好きだけど、あっちも気になる、ってことだ。

よくあることじゃないか?と思えるのだ。

自分の目の前に少しでも自分を幸せにしてしまう誰かが現れてしまったら。

オトナだろうが女だろうが男だろうが独身だろうが既婚者だろうが、

我慢や理性が吹っ飛ぶってことは、ある。

もう、これは「どうしようもない。」(身も蓋もない。)と思うのだ。

やってはいけないこと、なのかもしれないけれど。

どうしようもない時もあっちゃったりするのはしょうがない、と思う。

浮気という行為を、肯定も否定もしない。

我慢、とか理性、とか常識的に、とか人として、とかいろいろある。

あるけれど、「どうしようもない」ってことも、ある。

その「どうしようもないこと」を理解していたら、

もしかしたら案外人生って楽に過ごせるのかもしれないな、とも思うのである。

 

浮気は、誰でもしちゃうものだ。だって「どうしようもないこと」だから、ね。

ちなみに

「ヤレる」が基準の行為は浮気ではない、それは遊びね。

そこは賢く見極めていこう。

 

シオ的「浮気って、どうよ」

 

自分はかなり鈍感な人間だと思う。

結婚以前の恋人含め、パートナーに浮気をされた経験がない。

まじめな人としか付き合った事がないという訳ではない。

元カレに「私と付き合っている間に浮気したことあった?」

と聞いたら「うん」と答えていたし。

そして脇が甘い。

自分がそういう行為に及んでしまった時、恋人から

「何が悲しいって、君が嘘をついている事を分かってしまう事が悲しい」と言われた事がある。

いったいどんな顔をして、どんな嘘をついたのか全く覚えていないけれど。

 

独身時代も鑑みて、今の自分の立場(婚姻生活約20年)で言えるのは

「浮気は止められないもの」なんだと思う。

「I can't help falling in love with you ~」とプレスリーも歌っていたように、

愛すること(恋に落ちる事)は理屈じゃないし、止められない。

実はどちらか(もしくは両方に)戸籍上あるいは事実上、特定の相手がいたとしても、

惹かれ合う当人たちの心は理性や倫理で抗う事のできないものなのだと思う。

ただセックスのみの関係なら、話は簡単なんだろうけど。

 

じゃあ、実際に夫に浮気をされたら。

もしくは私に心惹かれる男性が現れたら。。。

「しょうがないよね」とクールに一言で済まされるのだろうか。

自分は感情のままに突き進むのだろうか。

正直、その時になってみないとわからない。

ただ、現実として永遠の愛を誓って結婚した相手でも、苦楽を共にし、トイレも共有する生活を送る中で、

いつまでもお互いが性の対象でいられるのはとても難しいと思う。

脳科学者の黒川伊保子さんも言っている。

浮気を容認するわけではないが、

「日常の生活戦争の中で夫婦が男と女でいられる術は脳科学的にはありえない」と。

そんなの理不尽だと憤慨する人は叶恭子を見習うといい。 

叶恭子の生き方は潔い。

彼女は言う。

「わたくしはいわゆる恋人というカテゴリーを持ちません(中略)ですから、「浮気」などという言葉も無縁です。」

こうとも言っている。

「結婚した次の日に、それ以上ときめく人がわたくしの目の前にあらわれた時、わたくしはきっと約束を守れないでしょう。結婚という神聖な儀式の約束を守れないのであればするべきではない、とてもシンプルです」とも。

まさにおっしゃる通り。

実にシンプルで気持ちが良い。

 

人に好意を持ち、その人をもっと知りたい、一緒にいたい、触れ合いたいと思うのはとても自然で素敵なことだ。

故にいくつになってもできることなら恋をしたいと望むが、私たち世代で自由に恋愛を楽しめる立場にある人は少ない。

既婚者あるいはステディな相手がいる人にとっては浮気なわけで、

芸人にとっては芸の肥やしだで済まされる場合もあるが、許せないと叩かれる人もいる。

著名人にとっては職を失うほどのスキャンダルになったりもする。

 

すべてにおいて自由なのがオトナの特権だけど “freedom and responsibility.”

やっぱりそれなりの覚悟は必要ってことよね。

 

 

結婚って、どうよ

ごましおの半世紀のホンネ、第四弾は。

「結婚って、どうよ」です。

なかなかに深い。

 

どんなに時代が変化しようとも、女子話題ベスト10圏内に確実に入っているのが

「結婚」(だと思う・・・。)

婚活なる言葉と活動が存在するということは現代の娘さん達にとっても結婚はやっぱり関心事のひとつであるらしい。

自分では意識していないとしても、大学生くらいになるとそわそわと話題になり始め、社会人になって少し経つとなんだか周囲がバタバタしてくる時期があり、しないのか、するのか、いつするのかとあおられるのが結婚。あんまり話題にするとセクハラになりやすいも結婚

結婚してもいろいろある。しなくてもいろいろある。

なんなんだろう、結婚って。

結婚は人生の墓場、という言葉がある、にも関わらず一人でいるより結婚して2人でいる方がいいとか、人生で一度くらいはしておくことね、なんてクソバイスもあるのが結婚。

そもそもなんなんですかね、結婚って。

と思うわけです。

ということで。

ごましおの半世紀のホンネ、第四弾。

今回のお題は「結婚って、どうよ」です。

 

 

ごま的「結婚って、どうよ。」

 

一度だけしました、結婚。

世間で言われるところのバツイチですので、結婚って、どうよ。と言われたら

「まぁ・・・。私には合わなかったけど。一度くらい人生経験としてしといてもいいんじゃない?」

と少しだけゴニョゴニョしながら言うだろうなと思う。

 

今思うとどうして結婚に踏み切ったのか、実はあまりよく覚えていない。

ただ、結婚相手に初めて会った時のことは覚えている。

大学サークルの新歓コンパだった。

大学生になったばかりの同じ新入生として出会った。

出会ったその瞬間時に「あ、私この人と結婚するかもしれない。」と思った。いや、マジで。

初対面なのに、なんだか知っている人という感覚があった。

やっと会えたねなんて名言は産まれなかったけれど、出会うべくして出会ってしまったみたいな感覚があの時の私には確かにあった。

付き合うようになったのは出会ってから3年後。

そして3年付き合い、お互い25歳の時に結婚をした。

たぶん、最初に感じた「ワタシ、コノヒトトケッコンスルカモ」の感覚をずーっと覚えていたのだと思う。

結婚をして4年、一緒にいた時間が10年を経った時に離婚をした。

 

会社の同期の中で先頭を切って一番乗りで結婚をした私は、どうして結婚をしたの?と同期からも周りからも何度も質問されたが、いつも

「最初に感じた直観で結婚した。」と答えていた。そのくらい、あの出会った頃の感覚が自分にとって衝撃的だったから。

 

離婚をした後、飲み会で久々に会った中学時代の友達から

「最初の旦那さ。びっくりするくらいに同級生のI君に似ていたよね。」

と言われて気が付いた。

そうだ。I君だ。I君にすごく似ていたんだ。だから初対面なのにどこかで会ったことがあるって思ったんだ。それで運命の人だわと思っちゃったんだ!くぅぅぅぅ・・・私ってすごいバカ・・・・と悶絶した。

 

要はね。

結婚ってこんなきっかけでもしちゃう人がいるのよってことです。

 

結婚はしたいならすればいい。

したい相手がいるのなら頑張ればいい。

相手がいないのにとりあえず結婚をしたいというだけならば、無駄に頑張って自分と大事な時間を消耗することはない。

結婚をしたら自動的に幸せになれるわけじゃないからね。

結婚してみたものの違うなと思ったら次にいけばいい。

結婚して幸せならその幸せを満喫したらいい。

結婚という制度にこだわることもない。

自分で自分を機嫌よくしてあげるようにしたらいい。

一人でいるより一緒にいると自分の機嫌がいい相手がいるのなら、一緒にいればいい。

そしてその時間を大事にしたらいい。

まぁ、一度くらいはね。してもいいかもねとは思うけれど。

一番大切なのは「自分で自分を幸せにする」ってことかもしれないなぁ。

 

 

シオ的「結婚って、どうよ。」

既婚者ゆえ賛成か反対かに1票を投じるなら賛成派になるだろう。

でも結婚に対し憧れを抱いた事は一度もない。むしろ20代のうちは絶対に結婚しないと固く決めていた。

私たちの世代は女性の適齢期をクリスマスケーキに例えられた時代だったので、友人たちの大半が20代前半で嫁いでいった。

(最近は年越しそば理論やワイン理論なんて言い方もあるらしい)。

私はというと友人たちの幸せそうな顔を見るのは大いに嬉しかったが、「どうして私たちはこんなにも若く、美しく、女性として人生で一番輝いているステージに立っているのに、なぜあえて一人の男性の所有物に自らなろうとするのか」が不思議でしょうがなかった。

新居に押し掛けては本人を前に「マジ信じらんない」などと毒づいていたデリカシーのなさを今さらながら謝りたい。

 

オイシイ恩恵をたくさん受けた華の20代を過ごし、30歳のおわりに夫と出会った。

打算も迷いもなくずっと一緒に生きていきたい思えた相手なので結婚をした。

実にあっけなくひっそりと。

交際0日婚などという言葉も耳にするが、初デートから5か月後には入籍をしていた私たちもかなりのスピード婚の部類に入ると思う。

そこから現在に至るが、私たちはお互いに仕事を持ち、プライベートな部屋(空間)を持ち、自由になる少しのお金を持ち、依存しない関係を続けている。同じ年というのも大きいかもしれない。

 

打算もなくと書いたが、実を言うと本当はひとつだけある。

それは夫が次男という事だ。

それだけは迷いなく結婚する事を後押しした一因になった気がする。

姑との確執とか避けられる苦労はあえてしたくはないものね。

実際に結婚して良かった事とは?

やはり子供を持てた事だろうか。でもその話しはまたの機会に。

 

前述したように私は適齢期を過ぎての結婚だったので、親に紹介した時も「よくぞこんな娘をもらってくれました」的な感じで、何も反対は受けなかった。ただ一言、父親がそっと私に言った言葉を今も覚えている。

それは「今は良く見えている相手の長所が時間が経つと短所に見えてくるぞ」。

確かに。本当だわね、お父さん。

夫は声がデカく、ノリが良く、めっぽうお酒に強い。そんなところに男らしさを感じていた。ところが今となっては大きな声は耳障りだし、テンションの高さにはついていけないし、毎日の酒代がハンパない。

だけどずっと変わらずとびきり優しい。私がどんなに嫌味を言おうが意地悪をしようが、決して怒らず更に大きな優しさで返してくるのだ。

 

総じて私は「結婚っていいとおもう」と答えたい。

でも「うちの夫みたいな人はなかなかいないけどね」と言ったら、おのろ気に聞こえるだろうか。

 

 

オトナの恋愛って、どうよ。

 

 ごましおの半世紀のホンネ、第三弾

今回のお題は「オトナの恋愛って、どうよ」です。

 

恋愛は、ある時期人生そのものだった。

365日24時間体制で恋愛しかしていない時があった。

相手の何気ない一言に一喜一憂し、言葉の裏の裏の裏、そのまた向こうまで妄想しまくり、食事も喉を通らず「苦しいのよぉぉぉ」と友に泣きつく、なんてことも多々あった。

若いころの恋愛は猪突猛進。

恋は盲目。

ただし。「めたくそ楽しかった。」

今振り返ると「体力あったな、私。」と苦笑いだ。

オトナになってからも恋愛はしてきた。

30代だろうが40代だろうが、恋愛いつも目くるめく世界だ。

若いころは考えもしなかったけれど、いくつになっても恋はしてしまう。

オトナの恋愛事情について、そろそろ話してみよう。

ごましおにとっての

「オトナの恋愛って、どうよ」です。

 

ごま的「オトナの恋愛って、どうよ。」

 

いつ何時をもって「オトナ」の年代なのかは個々の認識によって違うと思うけれど、

「おとなの恋愛って、どうよ」と問われたら

「そりゃいくつになったって恋愛は楽しいに決まってる。しかもオトナになればなるほど楽しい。」

と強めに応えたい。

 

初めて彼氏なるものが出来たのは中学2年生の時。

そこから様々な恋愛をした。

20代はいつもいつも恋愛をしていた。

うっかりその中の一人と結婚にいたったが、うっかりはやっぱりで30歳でバツイチに。

そこから「もう結婚とかいーわ」的思想になり、更に濃いめの恋愛街道を走り抜けた。

毎日おなかが痛くて気持ちが苦しくて、ハラハラと意味なく泣いてみたり、

一体何と戦っているのかはわからないけれど、「毎日決戦」「辛いのが醍醐味」的アホ恋愛もしてきた。

友があきれてしまうほどのラブラブ時期を過ごし、ある日突然さーっと熱が冷め、幸せだったはずの思い出全て、あれもこれもそれもどれも「恥ずかしい」の文言しかない、全部まとめて地中深くに埋めこんで記憶から完全消去したい懺悔な恋愛なんてのもあった。

32歳から36歳までの4年間はなぜか毎年5月くらいに新しい恋愛がスタートし、夏とともに終わるという恋愛をし続けた。7月くらいになると後輩から「先輩、そろそろ今年も終わりますかねぇ」なんて言われてしまうほど、私の恋愛は年中行事の一つだった時期もある。

「事実は小説より奇なりってこのことね。」と思わずつぶやく型の恋愛を繰り返し、

しなくてもいい苦労に自ら突入し、自滅し、「男の傷は男で治す」を座右の銘に復活し、更に上の苦労に突っ込み・・・を繰り返し、紆余曲折恋愛街道を駆け抜けた。

とにかく爆走しまくった。

ところが

45歳の時に「人生恋愛してなんぼじゃけんのぅ」ステージをあっさりと降りた。

なんというか「オトナの恋愛」ステージが始まったのだ。

煩悩のひとつがしゅぅーっと消えて、恋愛に対する姿勢が変わったのだ。

どんな風に変わったのか。

たぶん「楽な恋愛」をするようになったのだと思う。

居心地がいい、一緒にいて楽、という相手を選択し、穏やかに恋愛ができるようになった。

昔の恋愛時のような劇場型でドラマチックなことなんて何一つなくなってしまったけれど、

そこはもう十分やったからいいやと思えるようになったのだ。

成熟したオトナ的感覚がようやく身についたのかもしれない。

現在はかなり落ち着いて事実婚的パートナーと暮らしている。

 

若くて体力がある時はどんな恋愛でもなんでもやった方がいい。

バカな恋愛も、おかしな恋愛も、周りからドン引きされるような恋愛も、

なにもかも出来る時にやっておいた方がいい。

オトナになったら、また違うステージで恋愛は出来る。

そして、たぶんオトナの恋愛は気持ちが豊かで穏やかで楽しいものだから。

そうなる前はどんどん行くべきだ。

命短し恋せよ乙女。

とは言いつつ。

人生最後にもう一回くらい熱烈な恋愛がわいてきてもいいよなぁ、

と思う気持ちは忘れてはいないけれどもね。

 

 

しお的「オトナの恋愛って、どうよ。」

 

「今度生まれ変わる時はフランス人に!」が、お酒を飲んだ時の口癖だ。

いくつになっても恋をして、おしゃれをして人生を謳歌したい。

それがフランス人に対する勝手なイメージだとしても、きっと多くの女性たちはそう願うのではないだろうか。

現フランス大統領夫人のマダム・マクロンは、私の憧れの女性の一人である。

 

それはさておき。

何歳からをオトナと定義するかにもよるが、31歳で結婚をし現在も婚姻関係を継続している身としては、なかなか難しいお題である。

ここには今の気持ちや出来事を綴っていきたいと思っているのだが、正直、進行形ではネタがない。

「若い頃は痩せてたんだよ」と昔の写真を後生大事に手帳に挟み、お酒の席で見せたがる人が少なからずいて、私はそういう輩が大嫌いだから「若い頃は・・・」という言い回しが好きではない。

でも、反感やヒンシュクを買う事を恐れずに言うなら「若い頃はモテた。そこそこに」

クリスマスには自宅に花束や贈り物などが届き、父親から「お前は水商売の女か!」と見当違いな怒られ方をした事もある。

それが今ではどうだろう。この夏はついに蚊までも寄りついてこなかった。

だから脳内恋愛しか楽しむ術がない。そして思うのだ。「あぁどこかで素敵な殿方との出会いがないかしら・・・」と。

どこかってどこ? ホテルのバー? ドラマじゃあるまいし、アラフィフ女性に出会いなど果たしてあるのだろうか?

 

仮に異性と二人で食事に行くことをデートと言うのなら、結婚後も何人かとデートはした。

でもそれは新しく出会った相手とではなく、学生時代の友人や独身時代に知り合った人、昔のボーイフレンドとの「再会」だ(ほぼ20年とか25年単位の)。

とりわけ昔のボーイフレンドとの再会には心が躍った。特別なダイエットをしたわけでもないが、産後どうしても落ちなかった“あと3キロ”がスルリと落ちたし、初めてまつ毛エクステやネイルサロンに行ったのもその時だ(1回限りでその後は何もしていない)。

下着も新調した。機能重視の保護色からデザイン重視のカラフルなものを買い揃えた。

もし仮に、閉経後にそんな機会が訪れたなら、きっと生理が再開するのではないだろかと思うほどの勢いで女性ホルモンがフル稼働した気がする。

それほどまでに最強なのだ、恋する乙女心ってヤツは。

 

夫に対し罪悪感がないと言えば嘘になる。でもこればかりはしょうがないのではないだろうか。

私の場合は幸か不幸かそこから恋に発展はしていないが、登山家がどうして山に登るのか、そこに山があるからと答えていたように、私の人生の後半戦に「なぜ恋をするのか、だって出会ってしまったから」としか言いようがないような、ハッピーサプライズが待っていないとは言い切れない。

その時は抗わず身を任せたいと思っているが、その裏で傷つく人がいない事が最低限のルールになるから、オトナの恋愛って難しいんだよね。

 

そう言えば、私は30歳の時、夫と「出会ってしまったから」結婚したんだったっけ。

すっかり忘れてたけど。

 

 

 

 

会社員とフリーって、どうよ

 ごましおの半世紀のホンネ・第二弾

今回のお題は「会社員とフリーって、どうよ。」です。

(自分で自分の首を絞める、またまた深いお題設定)

 

学校を卒業したら、どこかの会社に所属(入社等)をすることがデフォルトだった時代から、

派遣という働き方、起業をする働き方、ワークシェアリングやレンタル移籍・フリーランス等、

働き方自体を自分で選択出来る時代になっています。

 

ごまは新卒から現在まで同じ会社に所属する会社員として働き、しおは会社員の時期・フリーランスの時期と両方の働き方を経験しています。

働き方が違うだけで、働くということは同じ。

長く働いてきた今だからこそ、少しだけ会社員とフリーランスについてお互いの経験を踏まえ、考えてみます。

「会社員とフリーって、どうよ。」

 

 ごま的「会社員とフリーって、どうよ。」

 

「会社員とフリーって、どうよ。」と問われたら、

私が思うフリーランスは「需要があるスキルを持つ人の働き方」だ。だからこそ、フリーランスで働ける人に対しては尊敬しかない。と即答する。

 

フリーで働いた経験は、ない。

新卒から現在までずっと会社員という働き方で働いている。

会社員という働き方が好きだから、ではない。学校を卒業したら会社員になることが「当たり前」の選択であり、その選択しかないに等しい時代だったから会社員になったとしか言えない。そしてフリー、という働き方でやっていける自信もスキルも個性もない、だから会社員でいるのかもしれない。

働くために楽な選択をした、とも言える。ただ、世の中やっぱり楽あれば苦あり。

この年齢になって自分の働き方に疑問を感じている。

 

私が所属している会社には30歳・40歳・50歳時にライフマネジメント研修が用意されている。

年代に応じたマネープランやマインドセット等を学ぶ研修だ。

全国の支社・支店の同い年の社員が本社に集合する社員交流の場でもある。

30歳時の研修は「婚活的要素を含めた出会いがあるやもしれぬ、ぐふふ。」

と邪な期待もあり、割と気合十分に参加した記憶がある(私の参加会は全員女子、という結末)

40歳の時はさぼって欠席(あの頃は若干やさぐれていた)

そして、ついに先日、別名「黄昏研修」と呼ばれる50歳研修に参加をした。

職場や職種は違えど、同じ会社で一緒に働いてきた同い年の集まりだ。

休み時間は様々な話で盛り上がるかな。最終日には飲み会とかあるかな、と若干の期待をしつつ

研修室のドアを開けた。

瞬時に「しまった・・・来るんじゃなかった・・・・。」と思った。

悲しいかな、こういう時の直感ははずれない。

参加者は15人くらい。男性が若干多かった。

研修室内にはどんよりとした空気が流れていた。

黄昏時をとっくに通り越した感があった。

その場の空気になじめない自分を自覚しつつ、空いている席に着席をし、

ゆっくりと参加者全員を見回してみた。

不思議なほど参加者全員、どこかが似ている気がした。

 

研修の最後に参加者一人一人が今後の会社生活についての自分の想いを発言する、という時間があった。

使う言葉は違えど、全員が同じ内容を口にした。

「今までと同じように会社に貢献をし、定年まで勤めあげ、できれば雇用延長をして会社にいます。」

正直、私はこの人達と同じ職場にいるのはキツイなぁと思ってしまった。

 

会社員でいれば、正社員でいれば安心・安定。長いものには巻かれて、しがみついていれば安泰という時は平成で完全に終わっているのだ。そのことに気づかないフリをして、変わることをせず、死んだふりをして会社に居続けるのは、たぶん本人も周りも辛い。

 

会社員とフリーランス

働き方は違えど、働くということは同じ。

私は会社員としての働き方しか知らないけれど、長く働いてきた今だからこそ、これからは自分が納得した働き方や働く場所を選んでいきたいと思う。

 

 しお的「会社員とフリーって、どうよ。」

前回、20代は何度か転職をしフリーのライターだった時期もあると書いた。

所属している組織からフリー(独立)になる場合、さまざまな理由があるだろうが大半は労働環境やお給料、そして人間関係によるトラブルが多いのではないだろうか。

私の場合も然り。

仕事は楽しいが上司との折り合いが悪く、朝仕事に行くのが憂鬱で「熱が出ないかな」、「インフルエンザにかからないかな」などと本気で思い始めた頃に独立を決めた。

 

晴れてフリーの身となった当初は「これで好きな時に旅行に行ける」とか「自分のペースで仕事ができる」と喜んだ。だが、結論から言うと、かと言って長期の旅行に出掛けたわけでもなく、ほぼ毎日、会社員時代と同じペースで仕事をしていた。当たり前だがフリーは働いた分しか収入がない。

けがや病気で引き受けた仕事をキャンセルするような事になれば、収入がなくなるのはもちろん、今後の仕事にも支障をきたすことにもなる。保障は何もない。

本業以外にも備品の買い出しからPCのメンテナンス、保険や年金の切り替え、税金の支払い、確定申告などすべて自分でやらなければならず、なかなか面倒だったな。(今は庶務課や総務課のありがたみを痛感している)

雑誌の仕事が多かったので昼間は取材に出掛け、夜に原稿を書く。そんな生活が何年か続き、今後もずっとこのペースで仕事をしていくのだろうかと多少の不安を覚えた頃に、今の会社へお誘いをいただいた。

30歳を目前に正規で雇用してもらえるのは、これが最後のチャンスかもという焦りもあった。

 配属先は社長秘書。

慣れないハイヒールを履いて出勤し、まずやることは役員のジュース作り。

リンゴと人参をジューサーに入れフレッシュなジュースを絞る。飲み終わったグラスを洗ってしまえば、もう一日の半分以上の仕事は終了だ。

「私はジュースを作ってお給料をもらっている・・・」。

今までとのあまりのギャップに愕然とし、複雑な気持ちになったことを思い出す。

(もちろん今は違う)

あくまでも私の意見にすぎないが、フリーで仕事をしている方たちを見回すと、親が経営者、あるいは事業主という環境で育った人が多いように思う。

何か特別な教育でも受けているのだろうか。

そういう点から言うと、公務員家庭で育った私は会社員でいる方が性に合っているのだろう。

毎日が規則正しいベルサッサ生活(仕事終わりのベルが鳴ったらさっさと帰るの意味)。

多少の嫌な事はアフター5のビールと一緒に飲み込んで、翌日には持ち越さない健全ライフだ。

 

私の属する会社は、まわりからかなり遅れて今年からフレックス勤務が導入された。

あぁ、これで乗車率ほぼ200%の電車に乗らなくて済むと喜んだのも束の間。

「明日は少し朝寝坊しよう」とベッドに入っても、決まった時間にパチリと目が覚めるし、

いつも家を出ていた時間になるとなんだかソワソワして落ち着かない。

結局今まで通りの時間に出勤し、通勤ラッシュの一端を担ってしまっている。

長い時間の中で飼い馴らされてしまった習慣は、そう簡単には変えられないものらしい。

“会社員の悲しい性(さが)”を痛感する今日この頃だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

働くって、どうよ。

 

ブログ開始一発目

ごましおの2人が考えたお題は「働くって、どうよ。」です。

(いきなり深い。)

2人とも人生のほぼ半分の時間、社会にでて働いてきました。

会社員だったりフリーだったり。

東京だったり北海道だったり。

働き方も職種も勤務場所もその時々様々に、それぞれにこなしてきたのです。

それなりのスキルも経験も身に着け、受注売り上げ貢献もし、

後輩育成に情熱を注いだり、顧客満足度向上にも尽力してまいりました。

2人とも「長く働いてきた。」

それは間違いない。

そこでふと考えてみた。

働くってなんだろう。

なぜ人生の半分の時間も働いてきたのだろう。

長く働いてきた2人が、今だらこそ少しだけ振り返ってみます。

「働くって、どうよ。」

 

ごま的「働くって、どうよ。」

 

「働くって、どうよ。」と問われたら、

働くのも遊ぶのも休むのも、同じ。私の生活のある一部分。

と答えると決めた。

 

平成元年・新卒で入社した会社に令和元年の現在まで所属している。

しれっと書いてみたが、

「私は新卒で入社した会社に30年も勤務しちゃっています。」

ということである。

改めて数値値してみて、呟いた。

「長いな。」

 

私が所属をしている会社も平成から令和の30年の間、時代の流れに翻弄され様々な社内改革を(迷走も多々有)行ってきている。

イチ会社員である私も、社内改革の波にどんぶらどんぶらと漂いつつ、所属や職種が恐ろしくコロコロと変わった30年だった。

ざっくりあげてみると、入社所属部署1年で消滅・新規部署異動・所属部署解散・新規立ち上げ部署異動・いきなり本社が3つの株式会社に分社化・分社したのにまた一社に戻る(なにやってんだか)・おじさんの派閥闘争みたいなものに巻き込まれて支社に異動・本社に戻る・またまた新規立ち上げ部署に異動・転勤異動・元部署に呼び戻される・部署解散・部署移動・またまた解散等々30年間全く一つどころに落ち着いていない。

部署は変わっても仕事内容や職種はずーっと同じ・・・なんてこともなく。

営業アシスタント・秘書・webサイト作成・販売促進・セミナー企画運営・営業支援・新規事業開発・マーケティング・変わったところでプロモーション用営業販売支援用のドキュメント作成のためのインタビュアー・ライター等も経験した。営業関連職の時には金型からデータセンター、SIからWEBコンテンツや携帯APPまで、様々な物とサービスを売ってきた。部署が変わるごとにお客様の業種も規模もその都度変化をし、さまざまな業界事情にも詳しくなった。

とまぁ、書き出してみると我ながらいろいろやってきた30年だったのだ。

やってきたのだ、いろいろと。

でも、

「いろいろやってきたけど。私にとっての働くって、何?なぜ30年も働いてきた?」

改めて自らに問うてみたら本当に、

心底「よくわからない」のだ。

唖然としてしまった。

 

人生のほぼ半分以上をつぎ込んできた働く時間。

悩みまくって眠れなくなったり、悔しがったり、泣きながら上司に食って掛かったり、自らでは止められないほどにキレたり、怒られ、怒鳴られ、提案書を投げつけられ(実話)・・・つらいことは山ほどあった。

「あいつ転んで打ちどころ悪くてあの世にいってくんないかな。」と、つい心の声がもれて厳重注意を受けたり、上司からの慰めの電話に、公園のベンチで携帯片手に大泣きしてストールが鼻水でぐちゃぐちゃになったこともある。

辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、腹が立つこと、落ち込むこと、いろいろあった。

働くことによって出会った顧客や上司や同僚や後輩、そして同期達は、いい人も変な人も悪い人も心底嫌いな人も、私を嫌いという人も、様々な人がいた。

書いているだけでも面倒くさいし、負の感情がフツフツと蘇ってきたりもする。

されど働いて、きた。

働いている時に感じた深い感謝や、無意識に「やったぁ」と声がでるほどの紛れもない大きな達成感や幸せも確実にあった。一緒に受注を勝ち取った同僚と飲むビールは最高においしかったし、プレゼンがうまくいった時の満足感と私がんばった感はハンパなかった。

だから、働いてきた。

そう、「働くこと」は私の30年間の生活の一部分だ。

 

働く環境や会社や職種や人間関係で悩んでいる人は多いと思う。

自分がやりたい仕事はなに?

将来どうしていきたい?どんな自分になりたい?等、いろいろ考えるとどこかで心臓が苦しくなって働くこと、会社に行くことが難しくなってしまうこともあると思う。

あくまでも結果論になってしまうけれど、

30年働いてきた今、私は自分がやりたかった仕事がなんだったのかが既にわからないし、働き始めた頃、自分が将来どんな自分になりたいと思っていたのかを忘れてしまった。

その時その時、目の前にあることを自分なりに頑張ってこなすことで、働くことは私の生活の一部となっていた。

ただ、働いていると無意識で自覚もないうちに経験やスキル、ものの見方や考え方がどんどんレベルアップした自分になれているのかもしれない。

だからこそ、30年もやってこれたのだ。

「働くって辛い。」とか「働かなくていいなら働きたくない。」とは思わなかったもの。

 

「働く(仕事)って、どうよ」と問われたら

働くのも遊ぶのも休むのも、同じ。私の生活のある一部分。

「なかなかいいもんだと思うけどね。」と答えたい。

 

とはいえ、そろそろ引退したい(大矛盾)

 

しお的「働くって、どうよ」

 

私の経歴は生え抜きの「ごま」とは異なる。

30歳になる目前に今の会社に就職したが、20代は何度か転職をした。

制作会社に勤務したこともあるし、フリーのライターだった時期もある。

 

多感期を北海道で過ごした。

本が好きで、山田詠美江國香織林真理子桐島洋子のエッセイに憧れ、オトナの女性に憧れ、東京に憧れた。

私もそんな世界を覗いてみたい、物を書く仕事に就きたいといつしか思うようになった。

でもどうやってその道に進むのかがよくわからない。とりあえず大手某社に就職し広告営業からスタートした。

飛び込み営業をし、受注を取り、打ち合わせをし、撮影に立ち会い、自分で書いた原稿が紙面に載る喜び。

初めての名刺、初めてのお給料、仕事終わりの飲み会、同期という仲間。

夢の切れ端を掴んで踏み出した社会はキラキラと輝いていたように思う。

でも人生はそう順風満帆には進まず、キャリアアップを目指し転職した後がきつかった。

企画が浮かばない、原稿が書けない、あきらかな知識不足、実力不足が露呈し、徹夜続きでお肌も気持ちもボロボロ。

自分の不甲斐なさに何度も涙したし、「むいてないから辞めた方がいい」とまで言われたこともある。

寝ても覚めてもまさに仕事漬けの毎日だったが、不思議と諦めようとは思わなかった。

私にはその道しか見えていなかったし「いつか必ず・・・」と根拠のない自信が背中を押していたように思う。

若かったのかな。

 

今の会社に就職してからは6時半に起き、コーヒーとバタートーストを食べ、その日の気分に合うピアスをつけて出勤し、ほぼ定時に退社する毎日だ。

どこかに置き忘れたのか、はたまた自分の都合のいいようにすり替えてしまったのか、

夢と引き換えに、規則正しい生活と趣味を楽しむ時間とお金を手に入れた。物書きではない。

これも自分が選び取った道であることに間違いはないが、ある歌詞が頭を過ぎる。

 

「あの頃の未来にぼくらは立っているのかな」

 

何かに心をキュッとつままれたような、青くて痛苦しい気持ちになる。

 

「働くってどうよ?」「どうして働き続けるの?」

生活のためとか、家族のためとか、将来(老後)のためとか、綺麗ごとでは済まされない現実はある。

だけどきっとごまと話したら「振り返る時間が長くていろいろ忘れちゃうわー」と笑うだろう。

 

自分で働いたお金で興味のある料理教室へ通い私たちは出会った。

そんな友と巡り合えるご褒美があるなら、

まだ答えが見つからなくても、今があの頃の未来ではなくても「ま、いっか」と思うのだ。

 

 

 

はじめまして。ごまとしおです。

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ごまとしお・2人の出会い

出会いは都内某所で開催された小さな自然派料理教室。

参加者約20名程の生徒の中で、同じテーブルではなかったのに、なぜか話しをするようになった2人。
教室は週一4回一か月で終了の短期コースだったが、全コース終了前にささっと飲みに行き、当たり前のように意気投合。

教室最終日の翌日には一緒に旅行に行っていた。

それから約10年。

ゴマは転勤で拠点を北海道に移すも、つかず離れずの距離で定期的に会っては
ご飯を食べ、浴びるほどに飲み、旅行にも行く仲が続いている。

オトナになってからできた友達って、居心地がいい。

 

「半世紀のホンネ・そろそろ話そうか」はどんなサイト?


共にアラフィフの私たち。
半世紀も生きていればそれなりの処世術も身につけ、それぞれが属する社会(会社)で
無意識にうまく立ち回り、大概の事は笑顔で切り抜ける術を学んだ。

けれど。

でも、やっぱり心の奥底ではモヤモヤとした黒いものが渦巻いているのも事実。
だからここはホンネで、時には毒も吐いてみようと思っています。

 

 

ごまとしおのプロフィール


ごましおの「ごま」


・職業:IT系会社勤務
・住居:二拠点生活者・月の2/3は転勤先の北海道札幌市、1/3は世田谷区の実家暮らし
 事実婚的パートナーと北海道・東京間を行ったり来たり生活
・好きな音楽:テクノとクラシック
・好きな一冊:「かつおぶしの時代なのだ」椎名誠
・憧れの人:矢野顕子 原田先輩
・好きな食べ物:新米・紅鮭・栗
・好きな飲み物:コーヒー・炭酸しゅわしゅわ系
・モットー:強いものではなく、変化できるものが生き残れる 
・もし100万円あったら?

ANAの世界一周エアチケ購入してとりあえず旅に出る。

・ゴマ目線からのしお

スレンダー美人、何時会っても艶っぽい。加えて声が可愛い。そして食いしん坊で酒飲み。
泥酔→吐く→すっきりしてまた飲みなおすを何事もなかったかのように出来るすごい人

 

ごましおの「しお」


・職業:出版社勤務
・住居:ギリギリ23区内に同じ年の夫と小学生の息子、2匹の金魚とマンション暮らし
・好きな音楽:ソウルミュージック
・好きな一冊:「旅をする木星野道夫
・憧れの人:桐島かれん
・好きな食べ物:マンゴー・エビ・アボカド・サーモン
・好きな飲み物:コーヒー・ビール(毎日の日課
・モットー:モノより思い出・7時間睡眠厳守
・もし100万円あったら?

座ったら最後、二度と立ち上がれなくなるような座り心地の一人掛けソファが欲しい。

・しお目線からのゴマ

私同様に食いっぷりがいい。

以前一緒にフレンチのコース料理を食べた後に、普通に居酒屋で食べ直した事も。

「甘いものは好きじゃない」そうだが、いつもちゃんと食後のデザートまで付き合ってくれる。

 

こんな二人が「半世紀のホンネ」をそろそろ話していきます。

よろしくお願いいたします。

 

ごましお